思い出の光景  その1

 旧ブログをご存知の方々には、新鮮味が無いことは百も承知であるが、、、


 筆者がこれまで撮影した、今は消えた懐かしい景色を取り上げてみる。



 その1は、柳町周辺の光景である。



 釧路市、柳町というと、スケートリンクと、旧厚生年金体育館を思い浮かべる人が多いと、勝手に推測する。以下の写真は、2006年の冬に撮影したものである。


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 1963年に開館した、釧路厚生年金体育館。 小学2,3年生の施設見学時、案内して頂いたおじさんに、当時3億8千万円をかけて建設され、1979年に釧路市民会館が開館されるまでが、ここでコンサートも多く開催され、松田聖子もここで歌ったと、教えて頂いた。2008年頃に閉館し、郊外に開館した代替施設にバトンを渡した。46年間、多くの思い出をくれた。 数枚のカットを掲載。

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 非常階段も完備されていたようだが、幸いにも46年間、アクシデントは起きなかったようで、、、


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 築46年ゆえ、所々に年月の経過を思わせる箇所が、、、


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 建物のお尻部分。 方角から日陰が多いようで、薄暗いイメージが筆者の幼少時から、、、



 ここでの思い出は、初めて中に入ったのは、1977年の愛国幼稚園の時、楽団の演奏を聞いたこと。 初めて大型の金管楽器の羅列を見たインパクトは41年経った今も覚えている。その後、愛国小学校時代、景雲中学校時代にも何度か来た記憶があり、1987年にポーランドサーカスが来た際に、西高校の同級生のS君と二人で見にいった。ラストは、1990年の3月、西高校卒業間際、ここで、授業の一環でバタミントンをして楽しんだのが最後となり、道央圏に行ってしまい、それっきり。 もっと内部の写真を撮っておけばと、今更ながら後悔。 確か一階に食堂もあったような気が?






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 また、柳町スケートリンクも懐かしい。市内の小中学校は冬期間は自前のリンクをグランドに作るが、氷の質、リンクのコンディション(鏡のような、鮮やかなツルツルリンク)ともに、比較にならないレベルで、スケートの刃をしっかりと研いでいないと、まともに滑ることのできない程であった。ここを滑ったのは、西高校3年の、年に一度のスケート授業以来で、今もリンクは営業(していると思うけど)していても、もう、30年スケート靴を履いていないから、滑れるかな?



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 旧厚生年金体育館裏にあった、フェンスに囲まれた空間、覚えていらっしゃるだろうか?
そう、柳町プールである。冷涼な釧路において、屋外プールである。一年の営業期間は極めて短く、15〜30分ごとに監視員のホイッスルの合図で、全員が水から上がり、体を温めてから、また入るという、本州の人間には信じがたいシステムになっていた。筆者も小学生時代、愛国から近い、鳥取のスポーツセンタープールより廉価ということで、何度かここで遊んだが、印象に残っているのは、とにかく寒い、水の表面に葉っぱ、虫が浮いていた(この部分は全国共通だろうが)ということ、更衣室の男女仕切りの壁が薄く、女子の声がよく聞こえ、ドキドキしたという記憶である。




 上記写真を撮影した、9年後、、、



 跡地は、現在更地となった、、、


2015.5.25-26 KSR (79)

 柳町の交差点から旧厚生年金体育館跡を見ると、白色から変わったが、動物(丹頂?)をデザインしたと思われる、「柳町公園」の表記のある門が今も現役であるが、ここからかつては、、、


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 体育館がデ〜ンと構えていたのだが、現在は無く、、、


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 代わりに通路ができていた。 その奥にあった、柳町プール跡も跡形もない。


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 現在は、広い更地が広がるだけ。 若い世代は、ここに体育館があったことすら、知るよしもないだろう。



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 スケートリンクの管理棟の建物も新しくなっており、かつての柳町プール跡には、舗装された道路が整備されていた。新しい時間を積み重ねて行くことだろう。


 
 少年時代の懐かしい思い出です。 撮影当時、柳町プールは既に閉鎖されていたと記憶しておりますが、施設はしばらく残っていたようです。
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2018年が明けて、、、

 明けましておめでとうございます。今年も、このしょうもないブログをよろしくお願いいたします。


 2018年が明けて、最初の訪問は、ひょんなことから始まった。


 長年、お世話になっている大学時代に知り合った道内転勤族の夫婦。現在、釧路在住。奥様が長年、写真の趣味を極めておられ、刺激を受ける形でこちらもカメラを構えるようになったのだが、筆者は彼女には足元にも及ばない。その彼女が北大通にある、とある飲食店の壁スペースを借りて、初のミニ写真展を行った。




 その応援に、急遽帰郷した。 滞在時間わずか、1時間40分。  
 それゆえ、実家には顔を出せず。





 休日の朝、スマホのフェイスブックを何気なく覗くと、奥様初の写真展の情報が。急遽、午前の特急スーパーおおぞらに飛び乗り、16時頃に釧路駅到着。わざわざ、ご夫妻にお迎え頂き、早速の写真展会場に向かう


 その前に、、、




 腹ごしらえ。 地元有名店に向かった。 そこは、、、


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 泉屋本店である。(写真は2012年の2月の物を流用)


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 昭和の雰囲気の残る店内は、古き良きという言葉がピッタリ。 (人物の顔を画像処理)


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 やっぱり、スパカツでしょ! ここなら。  他のメニューも美味いぞ!




 では、写真展会場へ向かう。 場所は、、、




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 かつて、マルカツや、くしろデパートのあった界隈は、再開発中。 その向かい側、、、

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 北大通に4丁目に昔からある、老舗喫茶店、「リリー」のあるビルの中に、、、


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 ここに昨年の11月に移転してきたばかりの、お洒落なバー「火星ツイスト」 ここが会場。シャッター街となった北大通であえて、勝負を挑む店主の心意気に、賛同する。今回は時間がないが、次回はここでグラスを傾けてみよう。


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 入口のショーケースの下段にある、ゴツい柄のビールは首都圏でしか手にはいらないようで、残念ながら店のメニューにないそうだ。どんな味なのか、気になる。



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 奥様の作品は、店の入口前の壁を利用したもので、店内にも作品がある。店主の善意で展示させてもらっているようで、このような、地味で小さな取り組みが、やがて街の活気、再生に結びついてほしいと、心から感じた瞬間だった。



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 日曜日の夕方17半過ぎに撮影した、北大通の現状。人が、車通りが非常に少ない。これが、釧路現在の状況。
30年以上前の少年時代の筆者には、こんな姿を想像できなかった。



 だが、諦めたくない。 そう思っております。

2017年 12月の釧路

 2017年の12月下旬の帰郷の模様。

 北大通に若干の変化が、、、



 
釧路駅前、旧金市舘跡に建つ、ホテルルートイン釧路の8階客室から撮影




2017.12.16-22 KSR (3)

 時刻は深夜0時30分頃。 釧路駅では発車、到着列車も終わり、既に営業終了しており、人影もタクシーの姿も無い。


2017.12.16-22 KSR (6)

 翌朝、6時を過ぎると、人影がチラホラと、タクシーが数台。




 それがどうした?  と言われると、困ってしまうが、、 まぁ、筆者のボヤキということで。(-_-;)





2017.12.16-22 KSR (13)

 手前、廃墟の釧正館ビル、奥の左手がこちらも廃墟の旧サンルート釧路ホテル&旧パルコだったビル、右手の茶色の建物が旧二代目東映ホテルで、現在はロイヤルインホテルでバリバリ営業中。 で、その間にオレンジ色のユンボのアームが見えるが、それが、解体中の旧長崎屋(アベニュー946)である。





 下3枚の写真は、北大通11丁目付近の空き地。 ここにはかつてYESそうご電気が建っており、その後、ベスト電器となり、やがて閉店、解体、更地となった。撮影は2015年の4月。



2015.4.10-13 釧路 根室 (272)

2015.4.10-13 釧路 根室 (274)

2015.4.10-13 釧路 根室 (277)




 そして、その更地に現在、、、



2017.12.16-22 KSR (23)

 白い巨大ビルが。北海道銀行の緑文字が目立つが、実は銀行だけではなく、、、


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 なんと、幣舞橋の上にあった、市立図書館がここに移ってきた。 民間ビルの中に間借りして、、、



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 名称も中央図書館となって、、、

 では早速、中に入って見よう


2017.12.16-22 KSR (27)

 と、思ったら、看板文字はあるが、開館は2018年の2月の予定とのこと、、、 あらら、、、




 以上。 ついでに、、、



2017.12.16-22 KSR (32)

 30年の運行実績のある、釧路〜札幌間を結ぶ都市間バス、「スターライトくしろ号」とは別に、東京バスグループの北海道バスが独自に運行する、「釧路特急ニュースター号」の釧路駅前のバス停だが、かつては待合室が無く、スターライト号とは格差があったが、目の前の旧銀行(北洋銀行)跡の空いたビルの一階を活用した、「なつかし館、蔵」の入口前空きスペースを使って、、、


2017.12.16-22 KSR (33)

2017.12.16-22 KSR (35)

 ベンチのみだが、待合室が設置された。暖房は無いようだが、雨風がしのげるようになって、ありがたい。





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 銀行時代の面影が残ると思われる床タイルや、スチール製の古い窓枠が時代を感じる。



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2017.12.16-22 KSR (40)

 茶色の重く、ゴツいスチール製窓枠と、針金が入った窓。 建築当時のものであろう。 ここからは現在の、人口が17万人代となった、少子高齢化が進む、寂れた北大通が見えるが、30年以上前には多くの人達が、ここから賑わっていた時代の北大通をこのガラス越しから見ていたのだろう。



2017.12.16-22 KSR (34)

 因みに、旧金市舘一階で営業していた、ミヤケ模型店は隣でバリバリ営業中だぞぅ。



 銀行が統廃合のため無くなったことから、待合室が設置できたというのは、バス利用者から見たらありがたいのですが、なんだか皮肉ですね。思い出が深い市立図書館も、いよいよ新しく開館するようですが、跡地は何が建つのでしょう?

vol 36 2017年、初冬の模様 

 今年の北海道の冬は、いつもより早いような気が、、、

 さてさて、この跡、どうなる?



2017.11.20 KSR (11)

 ここは釧路市内の住宅街にある、砂利採石場、、、、ではなく、、、、



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 Vol34で取り上げた、釧路駅近く、旧長崎屋の解体現場の続報である。

 2009年に撮影した、上記写真に比べ、、、下の写真では、


2017.11.20 KSR (1)

 2017年の11月末にはもう、すっかりと更地というか、粉々になりましたとさ、、、
 あっけないものだな。 寂しいな。



2017.11.20 KSR (10)

2017.11.20 KSR (7)

 ここにはやがて、パチンコ店の、ベガスベガスが建つそうなのだが、、、、




2017.8.21-22 KSR (69)

 今年の8月には、既に解体工事が始まっていた。 ついにこの建物も消える時がきたかと、一つの時代の終わりを感じ得たものだ。



2014.4.15-18 KSR等 (275)

 筆者はこれまで、旧長崎屋の外観写真を、数年に渡り何枚か撮ってきたのだが、、、



2014.9.15-16 KSR (9)

 とくに、この正面玄関が懐かしい。 筆者もここを一人で、家族で、友達とで、数えきれないほど通った。


2014.9.15-16 KSR (8)

 だた、横に突き出たガラス張りのこの空間、喫茶スペースのようだが、ここだけは一度も足を運んだことは無かったな。



 次回は、新たな建物の建設中の写真をアップしてみたいと思う。



 オマケ写真として



2014.6.11-13 KSR (10)

2014.6.11-13 KSR (8)

 釧路プリンスホテル(かつての、オリエンタルホテル跡地に建つ)の最上階レストランでは、釧路の街並みが見渡せる。
釧路川(旧釧路川)を望む、浪花町周辺の写真である。この界隈は、筆者にはあまり馴染みがないのだが、かつてこの付近に思い出がある人なら、街の移り変わりをどう感じるだろうか?



 北大通を始めとして、釧路駅周辺がどんどん変わっていきます。人口の高齢者の占める割合も増加し、子供達の数も減りつつあるのは、釧路に限ったことではありませんが、この街で育った者には、寂しさでいっぱいです。それでも、これからも懲りずに、街並みを撮っていきたいと思います。

vol 35 2017年、8月の帰郷  その3

2017年8月の帰郷、その3は、釧路ではない地域を取り上げてみた。


 かつて釧路と札幌は交通の面でも、とても遠く、列車で6時間以上(富良野経由時代)かかり、車で行くにしても、国道274号線が開通するまでは、鵡川経由か、狩勝峠経由で行かなくてはならず、一日がかりの長い道のりだった。


 やがて、列車は石勝線が開通し、速度もアップしたことで、時間が短縮され、国道も274号線開通とともに全て舗装化され、約6時間で行けるようになった。1987年には、札幌を結ぶ都市間バスが夜行便のみ定期運行され、1992年には昼の便も始まり、対抗するJR特急も新型車両導入により、最速3時間40分の大幅時間短縮され、現在は少し遅くなったが、釧路〜札幌間の公共交通機関は空路も含め、充実して現在に至る。


 近年は懐事情により、札幌から実家のある釧路まで移動は、都市間バスでの利用が多いが、JRでの移動も大好きで、お金に余裕がある時は楽しんでいる筆者。


 道東自動車道という、札幌から釧路までの高速道路も年々伸び、2016年には、釧路空港付近まで到達し、自動車でも4時間半位で札幌に行けるようになった。

 その釧路まで延伸していなかった、2015年の3月から約一年間、都市間バスは白糠ICを利用して、一度、国道38号線経由で釧路を結んでいた、ごく短い期間、いつも車窓を気にしていた箇所があった。





2017.8.21-22 KSR (18)

 道東自動車道の白糠ICと国道38線を結ぶ、国道392号線上の陸橋は、下にJR根室本線が走る。

 ここを都市間バスで通り、車窓を眺めると、、、



2017.8.21-22 KSR (23)

 一方はJR白糠駅が見え、、、


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 もう一方は帯広、札幌方面に向かう線路が望める。





 と、ただそれだけのことなのだが、、、




 この景色を見るといつも、思い出す光景がある。




 それは34年前、当時小学校6年生だった時、ニュースにもなった、短いローカル線の廃止で話題となった、あの白糠線を友人と二人で乗った思い出である。




 白糠線は1964年に着工され、ひとまず、約33キロ区間が開通した。当時は沿線に炭鉱があり、将来は本別まで延伸し、池北線と合流し、森林資源や北見方面からの農産物と沿線の石炭を釧路の西港まで輸送し、船で全国へ運ぶ等の青写真が描かれたが、やがて炭鉱は閉山、人口が激減し、1983年に廃止された。日本一の赤字ローカル線として話題となり、100円稼ぐのに2800円以上のコストがかかると揶揄された。廃止日が近づくと、全道(全国?)の鉄道ファンが押し寄せ、運行最終日は北海道新聞の一面を飾り、10両編成で運行された。




 その廃止間際、筆者と同級生の友人は、当時、理科の授業で習っていた地層とその中に埋まっている化石に興味があり、上茶路地区の茶路川で貝の化石がたくさん採れることを知り、是非とも自分で採取してみたいという気持ちから、白糠線を使い、上茶路駅で下車し、茶路川沿いをしばらく歩いて化石を沢山持って帰ってきた。きっかけはそれで、廃止されるということで、マニアとして乗ったわけではないが、結果的にいい思い出になった。




 そんな思い出を振り返り、カメラを持ってここに来てみた。
 


2017.8.21-22 KSR (27)

 当時はカメラなど持っておらず、気軽に撮影できた、使い捨てカメラ(写るんです等)も無い時代だったので、写真は無いが、この陸橋に立ち、当時の白糠駅での事を思い出してみた。一番左端のホームから白糠線は出ていたと記憶している。

 1983年10月15日、廃止の一週間前、友人と二人で、釧路駅から普通列車に乗り、白糠駅で下車。白糠線に乗り換えたのだが、廃止で話題となっていることもあり、当時から鉄道ファンが来ており、通常の1両編成がこの時、3両くらいついていた。




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 白糠駅を出て一度、帯広方面に進み、すぐに根室本線と別れて右側に進んだと記憶しているが、線路跡はあるのか、無いのか雑草に覆われて見えないが、赤丸のところに線路の行き止まり表示が見えるので、もしかしたらあれが白糠線に伸びていた線路?


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 キハ56系に乗り、トンネルをいくつか通った記憶を思い出しながら、自分の運転する車で、上茶路駅跡付近に到着。写真のこんな道が道々かよ? と思える道の先に上茶路駅があった記憶があるが、よく分からずこれ以上進むのを断念。




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 旧上茶路駅近くの広場。かつてこの付近に炭鉱があり、ここに平屋造りの炭鉱住宅が並んで建っていた。閉山後は炭鉱住宅を生かした「青少年旅行村」としてキャンプ場となった。

 筆者も1985年に宿泊研修として、景雲中学校の二年生全員でここで炭を起こし、カレーやジンギスカンをして一夜を過ごした思い出がある。その時はあいにくの雨天で、炊事はベチャベチャになりながらだったことも思い出の一つ。

 そんな古びた平屋が並んでいた光景も、筆者の記憶と卒業アルバム内に残るだけとなった。この時、既に廃線から2年程経っていたが、旧上茶路駅舎は健在で、友人と探険に行ってみた思い出もある。中に入ることができ、連動操作盤や宿泊用のベットも残っていた。



 最後に、、、

 
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 小学6年の白糠線に乗った時の、白糠駅内にあった記念スタンプ。 チラシの裏に押したもの。


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 こちらが、当時の切符。白糠駅の自動券売機で買った切符である。昭和58年、10月15日の印刷がある。白糠駅から上茶路駅までものだったか、釧路駅に戻る時の切符だったか?


 
 人々の記憶から忘れ去られつつある、廃止された多くの路線の一つを取り上げてみました。これをきっかけに乗り鉄に目覚めたといっても過言ではありません。人口減、経営悪化が心配のJR北海道の残された路線達。筆者が還暦になった頃には、いくつ路線が存続しているか、、、 気になるところです。
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