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2009年の帰郷時の写真

少しづつ、感染者数が減りつつあるが、まだ気が抜けず、中々帰郷ができない状況のため、、、

 2009年の帰郷時の写真を使って、思い出にふけって見た。


 市内にある、3つの無人駅巡りである。




 1988年、釧路市郊外に二つの小さな無人駅が誕生した。ともに、近くにある高校の通学の便をはかる目的が主であったと思われる。(国鉄から民営化に伴っての収益増収という目的も当然あろうが)



2009.5.23-24 釧路 (12)

 その一つが、武佐駅。 花咲線の東釧路駅〜別保駅間にポツンと出現した。武佐地区の車を持たない住民にとっても、これまでの路線バスに加え、もう一つの選択肢ができたわけだ。


2009.5.23-24 釧路 (13)

2009.5.23-24 釧路 (17)

 片ホームの屋根付き、待合室、トイレ無しの簡易構造である。

 近くに、道立釧路星園高校があり、生徒達の利便性が向上したが、少子高齢化による統廃合に伴い、2009年に閉校したしたことから、その後の利用客数が激減し、ウキペディアによると、1日の平均乗降客数は20人前後とのこと。




 そして、これと全く同じ運命をたどった駅がもう一つ。



2009.5.23-24 釧路 (45)

 こちらも1988年に開業した、新大楽毛駅。現在は待合室が増設された。

2009.5.23-24 釧路 (46)

2009.5.23-24 釧路 (48)

 武佐駅と同じ時期に開業し、近くの道立西高校の生徒の通学に重宝された。 何しろ当時、釧路駅から路線バスでここまで来た場合の一ヶ月の定期代は一万円を超えたが、JRに切り替えると、それが半額以下になり、家計が大助かりと親御さんから大歓迎されたものだ。



 しかし、その西高校も、、、


2009.5.23-24 釧路 (40)

2009.5.23-24 釧路 (41)

 星園高校と時を同じにして、2009年に閉校となった。 自身の母校である。自身は愛国に住んでいたから、この駅から列車に乗っても、通学には全く適さなかったことから、新大楽毛駅は縁が無かったが、一度だけ土曜日の放課後、友人とここから乗り、釧路駅まで行き、駅裏の菱光のゲーセンに行った思い出がある。短い乗車時間だったが、その思い出は30年以上経った今も、良き思い出である。 ちなみに、現在は釧路支援学校として校舎は再利用されている。




 武佐駅、新大楽毛駅とも、同時に開業し、同時に大きな顧客を失い、それでも少ないながら地元民の大切な生活の足となって現在に至る。



 最後に、もう一つ。


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2009.5.23-24 釧路 (37)

 釧路駅から西側一つ目の駅が、新富士駅。この駅に初めて行ったのが、2009年であったが、それまで抱いていた駅のイメージが全く違う。 駅舎はどこ? 確か道路側に駅舎があった筈。

 


2009.5.23-24 釧路 (34)

2009.5.23-24 釧路 (33)

 こんなに多くの線路に挟まれた中間にホームがあったんだ。 昔の駅舎は撤去されたようだ。

2009.5.23-24 釧路 (36)

 この駅での思い出は無いが、いつも反対側にある西港公園側か新富士駅構内を見ていた、少年時代の自分がいた。


2009.5.23-24 釧路 (32)

 1986年頃、コンテナが多く積み重なっているところに、廃車となった旧型客車群が多く集められており、車内には入れなかったが、デッキに入れたので、入って遊んだ。 旧型客車との触れ合いはその後、無くなり社会人となり、小樽市にできた総合博物館で、10年以上振りに展示車両に入って懐かしんだ。 さらに10年以上経って、たまたま小樽駅に停車していたSLニセコ号の札幌行きに、旧型客車のスハシ44が連結されており、思わず乗ってしまった。20年以上振りの旧客に乗れて、子供のように喜んだ自分がいた。



2011.12.12-18 大型ツァー (304)

2011.12.12-18 大型ツァー (308)

 参考までに、2011年12月に乗った、函館でのSL函館クリスマスファンタジー号に乗った時の、旧型客車スハシ44の写真を。





 車を運転できない、子供から学生時代にかけて、列車で思い出を刻んだ多くの人達にとって駅は、一つの記憶の1ページと言えるのでは無いのでしょうか?
 
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消えた銭湯の記憶

 かつて、入江町に住んでいたアパートにはトイレ、炊事場が共同で、風呂なしだったので、銭湯は必須で、今は無い光陽湯に行っていた。 その後、愛国に自宅を建て、風呂付きとなったため、銭湯に行く機会は激減したが、それでも親父に連れられ、たまに銭湯に行ったりしていた。


2012.4.18-19 KSR (12)

 産業通と言われた、愛国西1丁目付近から、柳橋通方向を見たもの。  少し進むと、、、



2012.4.18-19 KSR (14)

 二代目の建物となった、愛国交番がある。 初代の建物時代、昭和50年代初期頃まで、交番に隣接して、ワンワンポストという、今では考えられない、不要となった犬を入れる檻があった。 悲しそうに吠える犬達の光景が、40年経った今も鮮明に覚えている。 また、美原に移転したが、キクヤという食堂も隣にあった。



 そこからもう少し、進むと、、、


2012.4.18-19 KSR (19)

 車がたくさん駐車している敷地に、銭湯の「古まき湯」があった。愛国に引っ越した後も何度かここに入りに来た。

 その古まき湯は廃業したとのかと思ったら、、、




 釧路町の曙地区に新規移転オープンした。 もう35年以上も前の事だが。



2013.12.24-25 KSR (110)

2013.12.24-25 KSR (106)

 国道44号線、別保側から、美原に向かう通りは、やがてT字路にぶつかるが、その付近に、、、


2013.12.24-25 KSR (102)

 昭和57年頃、ここに移転、オープンした。開業直後、新しくなった古まき湯に、親父と兄貴と3人で行った。初代の建物とは比べようも無いくらい、最新で、ピカピカだった記憶が今でもある。(2013年の撮影)



 そして、35年以上の時間が流れ、時代も、社会情勢も変わり、




2020.11.25-26KSR.OBH (1)

2020.11.25-26KSR.OBH (4)

 昨年の秋に行ってみると、廃業し更地になっていた。



 市内にあった多くの銭湯が記憶の彼方に送られた。

 老舗の銭湯も、平成のスーパー銭湯の一部も

 消えていき、今も元気に営業している公衆浴場もあるが、


 消え去った浴場も実に多い。


 昭和40年代生まれの世代までが、銭湯に活気があった時代を知っている最後の世代かもしれません。
 木の鍵の下駄箱、籠に脱いだものを入れてそのまま床に放置して入浴しても盗難の無かった時代、風呂上がりの瓶に入った牛乳の栓を針のような器具で開けた記憶、、、 最近のスーパー銭湯では、懐かしい瓶コーラの自販機があり、栓も本体に引っ掛けて開ける方式は、我々の世代には懐かしく、若い世代には新鮮に映るようです。

昔は無かった、釧路環状線の入江町付近を歩いて

 コロナ禍の現在、釧路への帰郷もなかなか憚れる現在ゆえ、過去の写真を引っ張り出して、、、



 釧路環状通なる、バイパスができ交通量もかなり多い。交通の流れが変わったことで、街並みが大きく代わり、新規で始まった商業と廃れていった商業も。 多くの古い建物が消え、砂利道も姿を消した。
 

 2014年の帰郷時に釧路駅から、愛国の実家まで川北町〜新富町を経ていつの間にか国道44号線に組み込まれた釧路環状通を歩いた時の写真である。



2014.5.9-10 KSR (4)

 釧路環状通は、かつて旧釧路川と言われた現在の釧路川沿いを沿って、愛国〜昭和方面に繋がっている。 川の対岸にある、高台にある材木町〜緑ヶ丘は、橋が少なかった少年時代は未知の領域であった。 写真のアンテナ塔は現在、撤去されている。



2014.5.9-10 KSR (12)

 片側2車線の中央分離帯付きの広い道路だが、昔は狭い砂利道だったような記憶がある。 大きな釧路製作所は昔のままで、未だに何を作っているのか、知らない筆者。 (来た道を振り向いて撮影 背面が入江町側)

 

2014.5.9-10 KSR (13)

2014.5.9-10 KSR (16)

 道は大きく左にカーブし、各方面に繋がっている。 完成して年月が経ったこともあり、雑草が侵食中。



2014.5.9-10 KSR (19)

 筆者が幼い頃からある、鉄の廃材を扱う工場も現役。 ここまでは生活感の無い、工場やパチンコ店、処理場等がある地域だが、、、





2014.5.9-10 KSR (32)

 その工場から200m程歩いて、後ろを振り返って撮影。 この付近から、生活の匂いが始まる。(背面が入江町側)



2014.5.9-10 KSR (28)

 ガソリンスタンド、車関係の店舗や、バイキングレストランのウエスタン(市内で、唯一ここだけになったか)や市場もあり、、、

2014.5.9-10 KSR (27)

 書店、さくら湯を過ぎると、、、 (共に昭和60年代にできたと思われる)




2014.5.9-10 KSR (34)

 交差点に出る。   右が古川町で、正面が入江、中園町であり、右に曲がると桂、木場地区。

 これまで歩いてきた通りは、かつての雄別鉄道の線路跡となるのだろう。線路が敷かれていた時代の記憶は無いが。

 写真の右手に曲がり、、、



2014.5.9-10 KSR (37)

 手前の空き地はかつて、トラック等のタイヤ交換をする整備場があった。かつて何度も乗った、東邦交通の浄水場線のバスの窓から、タイヤ交換の作業をよく見ていた少年時代。 



 道路が拡張されると、交通の流れが変わることで街の風景がガラリと変わってしまいますね。この道を走ると、愛国の実家から、釧路駅まであっという間に着いてしまい便利になりました。 反面、車の流れが変わったことで、既存の通りは商売に影響が出ていることでしょう。

鳥取スポーツセンターの思い出

 前回、日本製紙(旧十條製紙)の釧路工場が、来年8月に製造を停止するという、衝撃的なニュースを取り上げたが、その旧十条製紙が営業していた、懐かしの建物の思い出を少し。



2020.11.25-26KSR.OBH (7)

 鳥取大通3丁目付近、鳥取神社のある鳥取東通りを、JR新富士駅方向に向かう、大きな通り。写真からを少し戻り、右手の敷地に、、、

 

2020.11.25-26KSR.OBH (6)

 現在、新しくなった消防署があるが、、、



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 その消防署が建つ前は、空き地であった。(2006年撮影)

 その空き地に、昭和30年代後期に建てられた、「鳥取スポーツセンター」があった。旧十条製紙が営業していたもので、夏は屋内プール、冬は屋内スケートリンクとして使われ、多くの市民に親しまれた。 


 蒲鉾型の屋根、入口はコンクリートの階段を登って2階にあり、売店、食堂もあり、泳いだ後の肉まん、あんまんが冷えた体を温めてくれた。

 トイレは汲み取り式であり、手首に巻いたロッカーの鍵を便槽に落とす生徒がいつもいた。学校の授業以外にも、夏休みに友人達と何度も泳ぎに来たし、一度だけ冬季にスケートを滑りに来た。


 初めてここに来たのは1978年、愛国小学校の水泳教室授業で、当時の東邦交通の路線バス車両を貸し切って、ここまで来た。何度か風邪のため、プールに入れないため、学校の図書室で過ごしたが、全学年の水泳授業が年2回あった記憶がある。卒業アルバムに水泳授業の写真が何枚かあるが、著作権の関係で掲載できず。



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 大楽毛側から撮影。車の止まっている奥の敷地にそれはあった。

 その写真の背面に、、、



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 後任の? 鳥取市民プールがあり、同じ小学校に通った、平成生まれの甥っ子は、こちらで授業を受けたそうである。




 授業以外で来た時は、大曲というバス停から、東邦交通か、阿寒バスの路線バスで、「スポーツセンター」という名のバス停で下車した。自身はいつも浄水場線という、均一区間のバスしか乗った事がなかったため、この時初めて整理券方式のバスに乗った。夏休みは自転車でも何度か来た。 センターの目と鼻の先に駄菓子屋さんがあり、水中眼鏡や耳栓、鼻栓もちゃっかり売っていた。




2020.11.25-26KSR.OBH (13)

 その旧スポーツセンターのバス停があった所に、ローソンの入るビルがあるが、かつては農協があり、ストアーもあった。


 その横の敷地に、、、

 

2020.11.25-26KSR.OBH (11)

 自身がスポーツセンターに通っていた頃にから既に営業していた、高橋ラーメン店が今も現役。黄色のテントの様な作りがお馴染みで、ラーメンの他、おでんもあるそうで、先日も「HO」という雑誌にも取り上げられた。営業は夜のみで、仕事帰りの労働者に親しまれているが、日本製紙の工場操業停止の影響がここにも及ぶかもしれない。

 次回は、鳥取大通り周辺を少し、取り上げる。



 海水浴のできない釧路にとって、屋内プールは水泳を体験できる貴重な施設ですが、かつて桜ヶ岡高台にもスカイランドというレジャー施設もありました。いづれも、もう過去の話ですね。

衝撃的なニュース

 先日、衝撃的なニュースに、思わずテレビに釘付けになった。

 大正9年に創業し、今年ちょうど100年を迎える、日本製紙(旧 十条製紙)釧路工場が来年の8月をもって、紙の製造を停止するという。



 釧路の産業を戦前から戦後、そして令和と支えてきた、二つの製紙工場の一つが、消える?




 現従業員、約250名の雇用は配置転換で確保するというが、工場に関係する人達はその何倍もいる。

 輸送に携わる人、関連企業、周辺の商売を営む多くの人達、、、





 大変に、重いニュースである。




 これまで、多くの釧路の写真を撮ってきたが、まさか、日本製紙の工場が無くなるなんて、思いもしなかった。


 自分が撮りためた多くの写真には、工場のシンボルである、二本の紅白煙突が多く写っている




2014.1.21-23 KSR (21)

 旧市立図書館の3階の窓から、手前の旧十条製紙の煙突と、写真では見にくいが、黒矢印のはるか遠くの、旧本州製紙の煙突が見えた。10代の頃、日曜日になると、いつもこの窓からこの景色を見て、遠近の紅白煙突から吐き出される煙を見ていた。




2018.11.4-11釧路酒田 (15)

 釧路ガス近くに掛かる、北中跨線橋を歩いて通った時に見た景色にも、旧十条製紙の二本の紅白煙突が見えた。




2014.9.2-4 KSR (91)

 西港東跨線橋からも、、、

2014.9.2-4 KSR (67)

 新川橋からも、高くそびえる二本の、紅白煙突の姿があったが、 30年前と比べて、煙突から煙が出ている光景が少なくなっていた事が、気がかりだった。




2015.7.8-9 KSR (151)

 新釧路川(旧、釧路川)の川沿いを歩くと、いつも工場が元気に稼働している様子が見えた。それが日常の、当たり前の光景だった。




2018.11.4-11釧路酒田 (34)

 駒場町の住宅地からも、煙突からモクモクと上がる光景が、焼きついていた。



2019.4.18-19 KSR (20)

 鳥取大通り側の、関係者以外立ち入り禁止の道路には、歴史的建造物(第一クラブ?)が見えたが、立ち入るわけにはいかなかった。




 工場が閉鎖されたら、  かつて東京の下町にあった、4本のお化け煙突が消えたように、日本製紙の工場も、紅白の二本の煙突も消えてしまうのか、、、




 釧路の産業は、街はどうなっていくのだろう?
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