vol 35 2017年、8月の帰郷  その3

2017年8月の帰郷、その3は、釧路ではない地域を取り上げてみた。


 かつて釧路と札幌は交通の面でも、とても遠く、列車で6時間以上(富良野経由時代)かかり、車で行くにしても、国道274号線が開通するまでは、鵡川経由か、狩勝峠経由で行かなくてはならず、一日がかりの長い道のりだった。


 やがて、列車は石勝線が開通し、速度もアップしたことで、時間が短縮され、国道も274号線開通とともに全て舗装化され、約6時間で行けるようになった。1987年には、札幌を結ぶ都市間バスが夜行便のみ定期運行され、1992年には昼の便も始まり、対抗するJR特急も新型車両導入により、最速3時間40分の大幅時間短縮され、現在は少し遅くなったが、釧路〜札幌間の公共交通機関は空路も含め、充実して現在に至る。


 近年は懐事情により、札幌から実家のある釧路まで移動は、都市間バスでの利用が多いが、JRでの移動も大好きで、お金に余裕がある時は楽しんでいる筆者。


 道東自動車道という、札幌から釧路までの高速道路も年々伸び、2016年には、釧路空港付近まで到達し、自動車でも4時間半位で札幌に行けるようになった。

 その釧路まで延伸していなかった、2015年の3月から約一年間、都市間バスは白糠ICを利用して、一度、国道38号線経由で釧路を結んでいた、ごく短い期間、いつも車窓を気にしていた箇所があった。





2017.8.21-22 KSR (18)

 道東自動車道の白糠ICと国道38線を結ぶ、国道392号線上の陸橋は、下にJR根室本線が走る。

 ここを都市間バスで通り、車窓を眺めると、、、



2017.8.21-22 KSR (23)

 一方はJR白糠駅が見え、、、


2017.8.21-22 KSR (21)

 もう一方は帯広、札幌方面に向かう線路が望める。





 と、ただそれだけのことなのだが、、、




 この景色を見るといつも、思い出す光景がある。




 それは34年前、当時小学校6年生だった時、ニュースにもなった、短いローカル線の廃止で話題となった、あの白糠線を友人と二人で乗った思い出である。




 白糠線は1964年に着工され、ひとまず、約33キロ区間が開通した。当時は沿線に炭鉱があり、将来は本別まで延伸し、池北線と合流し、森林資源や北見方面からの農産物と沿線の石炭を釧路の西港まで輸送し、船で全国へ運ぶ等の青写真が描かれたが、やがて炭鉱は閉山、人口が激減し、1983年に廃止された。日本一の赤字ローカル線として話題となり、100円稼ぐのに2800円以上のコストがかかると揶揄された。廃止日が近づくと、全道(全国?)の鉄道ファンが押し寄せ、運行最終日は北海道新聞の一面を飾り、10両編成で運行された。




 その廃止間際、筆者と同級生の友人は、当時、理科の授業で習っていた地層とその中に埋まっている化石に興味があり、上茶路地区の茶路川で貝の化石がたくさん採れることを知り、是非とも自分で採取してみたいという気持ちから、白糠線を使い、上茶路駅で下車し、茶路川沿いをしばらく歩いて化石を沢山持って帰ってきた。きっかけはそれで、廃止されるということで、マニアとして乗ったわけではないが、結果的にいい思い出になった。




 そんな思い出を振り返り、カメラを持ってここに来てみた。
 


2017.8.21-22 KSR (27)

 当時はカメラなど持っておらず、気軽に撮影できた、使い捨てカメラ(写るんです等)も無い時代だったので、写真は無いが、この陸橋に立ち、当時の白糠駅での事を思い出してみた。一番左端のホームから白糠線は出ていたと記憶している。

 1983年10月15日、廃止の一週間前、友人と二人で、釧路駅から普通列車に乗り、白糠駅で下車。白糠線に乗り換えたのだが、廃止で話題となっていることもあり、当時から鉄道ファンが来ており、通常の1両編成がこの時、3両くらいついていた。




2017.8.21-22 KSR (20)

 白糠駅を出て一度、帯広方面に進み、すぐに根室本線と別れて右側に進んだと記憶しているが、線路跡はあるのか、無いのか雑草に覆われて見えないが、赤丸のところに線路の行き止まり表示が見えるので、もしかしたらあれが白糠線に伸びていた線路?


2012.10.29-31 KSR (58)

 キハ56系に乗り、トンネルをいくつか通った記憶を思い出しながら、自分の運転する車で、上茶路駅跡付近に到着。写真のこんな道が道々かよ? と思える道の先に上茶路駅があった記憶があるが、よく分からずこれ以上進むのを断念。




2012.10.29-31 KSR (54)

 旧上茶路駅近くの広場。かつてこの付近に炭鉱があり、ここに平屋造りの炭鉱住宅が並んで建っていた。閉山後は炭鉱住宅を生かした「青少年旅行村」としてキャンプ場となった。

 筆者も1985年に宿泊研修として、景雲中学校の二年生全員でここで炭を起こし、カレーやジンギスカンをして一夜を過ごした思い出がある。その時はあいにくの雨天で、炊事はベチャベチャになりながらだったことも思い出の一つ。

 そんな古びた平屋が並んでいた光景も、筆者の記憶と卒業アルバム内に残るだけとなった。この時、既に廃線から2年程経っていたが、旧上茶路駅舎は健在で、友人と探険に行ってみた思い出もある。中に入ることができ、連動操作盤や宿泊用のベットも残っていた。



 最後に、、、

 
DSC07730.jpg

 小学6年の白糠線に乗った時の、白糠駅内にあった記念スタンプ。 チラシの裏に押したもの。


DSC07731.jpg

 こちらが、当時の切符。白糠駅の自動券売機で買った切符である。昭和58年、10月15日の印刷がある。白糠駅から上茶路駅までものだったか、釧路駅に戻る時の切符だったか?


 
 人々の記憶から忘れ去られつつある、廃止された多くの路線の一つを取り上げてみました。これをきっかけに乗り鉄に目覚めたといっても過言ではありません。人口減、経営悪化が心配のJR北海道の残された路線達。筆者が還暦になった頃には、いくつ路線が存続しているか、、、 気になるところです。
スポンサーサイト

vol 34 2017年、8月の帰郷  その2

2017年8月の帰郷の模様、その2であるが、、、



 ブルータスお前もか、、、ならぬ、


 「旧長崎屋、お前もか、、、」 である。  


  あぁ、 悲しい、、、



 
 「昨年に閉店した、旧長崎屋跡、アベニュー946跡に、パチンコベガスベガスが出店」という、新聞記事が目に入ったが、建物はそのまま活用、、、と聞いていたのだが、、、




 まずは下記の5枚の写真をご覧頂きたい。



2016.7.5 KSR (21)


2016.7.5 KSR (26)


2016.7.5 KSR (27)


2016.7.5 KSR (28)


2016.7.5 KSR (30)


 上の5枚の写真は2016年7月の撮影。 


 この光景が、約1年で、、、





2017.8.21-22 KSR (63)

 さすがに、築41年の建物では、無理があったようで、、、


 1976年に開店した、旧長崎屋、釧路店は、解体が始まったとさ、、、


 2003年に閉店し、アベニュー946として再スタートしたとさ、、、


 その後、テナントが色々入り、頑張ったとさ、、、


 でも、郊外に出来た、大型ショッピングセンター群に競争で負けたとさ、、、




2017.8.21-22 KSR (55)

 ついに、2016年に完全閉店が決まったとさ、、、


2017.8.21-22 KSR (53)

 後にベガスベガスを運営する、企業が取得したとさ、、、


2017.8.21-22 KSR (57)

 そして、解体が始まったとさ、、、


2017.8.21-22 KSR (65)


 自身の思い出も、消えたとさ、、、 


2017.8.21-22 KSR (61)

 子供時代、日曜日は家族でここに来て、玩具を買ってもらったり、、、


2017.8.21-22 KSR (54)

 4階のガラズ張りのレストランで、家族で食事してから、帰宅した、日曜日の思い出も、、、



 と、いうわけでした。いや〜残念。

 次回の帰郷時には、更地になり、新ビル建設光景をカメラに収めたいと思います。

 長崎屋は、自身にとって、本当に思い出が深く、ここでの思い出は生涯、忘れないでしょう。

vol 33 2017年、8月の帰郷  その1

 本州に比べ、8月の北海道は過ごしやすい暑さ。 元々釧路は冷涼な気候ゆえ、半袖では少し肌寒いかも、、、


 2017年、8月の釧路の現況を2回に分けて、ご紹介。



 札幌、8時54分発、スーパーおおぞらで釧路に向かう。定刻に走行し、13時過ぎに釧路駅に滑りこんだ。

2017.8.21-22 KSR (3)

 到着し、実家へ向かおうと思ったら、、、なんと、、、


2017.8.21-22 KSR (4)

 おぉ、夏季限定の臨時列車、4両編成の「ノロッコ号」がいるではないか。 普通列車ゆえ、乗車券のみで乗車できる。
と、言っても時間が無い。 でも乗りたい。  よし、一つ先の東釧路駅までの短い旅をするぞ!


2017.8.21-22 KSR (5)

 機関車の次位に連結されるオハ510客車。 元々は道央圏で活躍していた、50系客車の改造で、前部にあった入口がサービス用発電設備の設置のため閉鎖されて改造されているが、、、




2017.8.21-22 KSR (7)

 車内はほぼ、オリジナルを残している。 大変に貴重な存在となった。 う〜ん、懐かしい。大学時代、札幌〜大麻間を何度も乗ったものだ。青色モケットの座席、扇風機、どれをとっても懐かしい。  編成中唯一の自由席なのでこちらのデッキに立つ。車内は満席。 まぁ、次の東釧路までの乗車なので、これでよし。 なにより、もはや貴重となった客車の乗り心地を味わいたかったのだ。



2017.8.21-22 KSR (6)

 こちらが3両連結される、メインの展望客車。中国語の飛びかう車内は満席そのもの。 釧路湿原を楽しんでくだされ。






2017.8.21-22 KSR (8)

 う〜ん、珍しい。1番ホームには、スーパーおおぞら。 2番ホームにノロッコ号、 3番ホームには帯広行キハ40系、 4番ホームに根室方面から到着の、キハ54系。 

 国鉄時代なら、4本あるホームが全て埋まる事が珍しくなかったが、現在、昼過ぎでの光景では、このようにホームが全て列車で埋まる光景をみられるとは、、、




 

 客車独特の発進時のもたつき、発進時のガクンというショック、止まる時のもたつき等、客車独特の乗り心地が、筆者は好きなのだ。   それを今回も期待しつつ、さぁ、出発だ。





2017.8.21-22 KSR (15)

 釧路川(旧釧路川)の鉄橋を渡ると、最初の停車駅の東釧路駅に到着。 

2017.8.21-22 KSR (11)

 たった一駅、わずか10分程度の短い旅。 満席の車内から東釧路駅で下車したのは、筆者ただ一人だけ。 衆目を浴びているな。皆さんは終点の塘路まで行き、折り返してくるのだろう。 生活路線として使ったのは筆者だけか、、、笑。



2017.8.21-22 KSR (16)

 最後部に連結される、オクハテ510は、先頭の機関車を遠隔操作し、運転手を乗せて帰路の先頭に立つ。国鉄時代も含めて、このような運転システムは大変珍しく、貴重な存在。



 ここからタクシーに乗り、愛国にある実家に向かったとさ、、、




 釧路の現況とか言っておいて、何だよ! ただの鉄道マニアネタじゃないか、、、  という、お叱りはごもっとである。 メインは次回の、その2で。 思い出深い建物が、また一つ姿を消すという、予告を、、、

vol 32 ユニオン →レイトン →廃墟

 街の衰退は、時に大きな爪痕を残す。廃墟もその一つ。そこに思い出があれば、ことさら感慨深い。



2016.7.5 KSR (53)

 釧路市民、元釧路市民、観光等で車で来た人なら一度は通ったことがあるのでは?  の、北中跨線橋。 筆者も思い出が深い。


2016.7.5 KSR (60)

 勿論、この跨線橋は下にJR根室本線が走る為に作られたもの。



2016.7.5 KSR (62)


 そこに登ると、釧路駅構内が遠くに見渡せ、下を通る列車が見え、 「この列車の天井は、こうなっているのか、、」なんて、新しい発見があったりするが、奥に見える薄茶色の凸型の建物に行ってみることにする。



2016.7.5 KSR (70)

 跨線橋を降り、春日町方面に一度向かう。 (写真は来た道を振り返って撮影したもの)


2016.7.5 KSR (74)

 トヨタ系の整備工場の横の道を歩くと、遠くに目的の建物が、、、



2016.7.5 KSR (76)

 途中、「ほう、公園があったんだ」と初めて知った。 少子高齢化又は、子供体が外で遊ばなくなったせいか、無人であった。 おっと、実はこの時の時刻は、朝の6時頃だった、そりゃ誰も居ないか 笑。




 目的地に到着。





2016.7.5 KSR (88)

 どうだい、この草に覆われた、「ホテルレイトン釧路」は?



2016.7.5 KSR (92)

2016.7.5 KSR (95)

 そう、ここは廃墟。 ホテルの廃墟。 ここは、ホテルユニオンとして開業し、その後、レイトン釧路に名称が変わった。 そして、経営母体の倒産? で、ニセコにあった、レイトンニセコと共に廃業し、現在に至る。ニセコの方は、収支が望めるとして、他社に買い取られ、経営が存続したが、釧路の方は、集客が見込めないとして、買い手が現れず、現在に至る。過去には、不審者が侵入して、火災が発生した。(窓が無く、焦げている箇所)



2016.7.5 KSR (90)

 看板のピンク部分にある、ブライダルプラン。 筆者は19歳(1990年)の時、ここで親戚の結婚式に出席した。既に札幌の大学へ進学していたが、帰郷して参加。真新しいスーツを来たものの、ネクタイの縛り方が分からす、ここまで乗ってきたタクシーの運転手さんに、車内で縛ってもらった。 お袋が、「お前、そのネクタイの縛り方、随分上手だね」と、驚いていたのが、つい最近のことのように思い出される。



 釧路には、このような大きなホテルの廃墟がいくつかあります。このレイトン釧路や、旧パシフィックホテル、旧パシフィックイン、旧第一ホテル等、、、近年は外国人旅行客も増えてきていますが、年間を通して、ホテルの供給は足りているということでしょうか?

vol 31 2017年 5月の釧路の現状報告  その2

40歳も半ばを過ぎると、思い出は忘れなくとも、詳細が思い出せなくなるナ、、、



 どこだったけ?  釧路駅の地下改札口は、、、



 
2017.5.31 KSR (1)

久振りに都市間バスではなく、JRの特急列車で釧路へ帰郷。 いや〜 やっぱりキハ283系の旅は良いものだ。
夜に釧路駅に無事到着したのだが、、、 (写真は札幌駅発車時だが)





2013.5.20-21 KSR (164)

 別の機会で撮影した、釧路駅。 今回はかつてここの地下にあった、ステーションデパート跡を見てみる。



 2017年の5月、釧路駅の1番ホームに到着。ここから直ぐに改札口に進めるのだが、 ちょと記憶を頼りにワザワザ、地下の連絡通路に降りてみた。 かつて、地下にステーションデパートがあり、ここの連絡通路にも、改札口があり、直でステーションデパートに行けたのだ。現在は閉鎖されており、その改札口がどこにあったっけ? と、しばらくの間、ウロチョロ。(ほとんど不審者)


2013.5.20-21 KSR (401)

 蛇足ながら、現在の地下連絡通路にはホームまでエスカレーターが完備されたが、かつては階段のみだった。




 では、捜索開始。



 
2017.5.31 KSR (3)

 地下連絡通路の5番ホームから、4〜1番ホーム方向を見ている。(幣舞橋方向) 奥の写真の飾っている壁が、ステーションデパートに通ずる、地下改札口だったか?


2017.5.31 KSR (2)

 それとも、奥の5番ホーム側の壁(釧路湿原方向)が入口だったか?


 それとも、どちらでもなく、横の、壁側に改札口があったか?



 思い出せない、老いた管理人であった。(ジジィ〜)



2013.5.20-21 KSR (405)

 因みに、駅からステーションデパートへ降りる、地下階段跡は、このように行き止まりで、(天井が下に下がっているのがわかる)、、、


2013.9.20-22 KSR (176)

 駅裏から駅前までの地下通路側にも、、、

2013.9.20-22 KSR (177)

 ステーションデパートへの入口跡が残っている。 管理人も、何度もここから入ったものだ。 懐かしい。



2017.5.31 KSR (4)

 改装され、デザインが変わった、釧路駅のトイレ。 場所は変わっていない。
 ここでの思い出は、映画「男はつらいよ」のロケ時、(1984年、夜霧にむせぶ寅次郎)、偶然にも、トイレの洗面所で、俳優の佐藤蛾次郎と、隣合ったこと。 背がとても小さく、ボリューむのあるアフロヘアーと、薄汚い衣装だった。もちろん役柄だが、掃除のオバサンが、「佐藤蛾次郎さんですか?」 に対し、「そうです」と答えていたのが、思い出。



2017.5.31 KSR (5)

 トイレから改札口に通ずる通路。色々な店があり、テナントも何度も入れ替わった。 この通路を数え切れなほど通った管理人は、現在もここを通る。



 今回はちょっと、釧路駅のネタでした。 昭和の時代、旭川、釧路、札幌(他の都市にも?)に、㋜マークのステーションデパートがありました。現在は札幌と旭川は駅舎そのものが現代的に生まれ変わり、当時の面影を残しているのは釧路だけとなりましたね。

 ステーションデパートでは地下ゆえに、薄暗い印象と年季の入った壁と天井の汚れが印象的で、お土産屋、食堂、本屋、オバサン向けのバックや服が売っているコーナー、ゲームセンター。レコードショップがあり、レコードショップでは、当時、流行していた、チェッカーズのレコードが店頭に沢山飾られておりました。現在からみれば、古臭い、ダサいものだったのかもしれませんが、間違いなく、街のコミュニティであり、そこに生活が、商業がありました。
プロフィール

釧路旅人

Author:釧路旅人
釧路を旅してみた時の写真

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク