千代ノ浦付近に足を運んでみた

 産業道路付近を取り上げている途中であるが、、、


 今年5月に、実家の都合で釧路に戻ったのだが、この時、札幌にいる親戚の人を釧路に送迎するため、レンタカーを借り(自身はマイカーを持ていない)、札幌〜釧路間を往復した時の模様を、少し取り上げてみた。



 札幌から釧路までの運転は極めて順調で、札樽道〜道央道〜道東道と走ると、休憩を二度挟んで、4時間半で阿寒まで来た。早くなったものだ。 現在建設中の高規格道路が、大楽毛まで繋がると、さらに実家までの到着が短縮される。




 阿寒にある介護施設に見舞いのため、親戚を送り届け、一時間程の空き時間があるので、、、



2018.5.25-27 釧路 静内 (101)

 施設から車で約10分の所にある、丹頂の里の向かい側にある、赤いベレーという温泉施設で時間を潰す。


2018.5.25-27 釧路 静内 (100)

2018.5.25-27 釧路 静内 (99)

2018.5.25-27 釧路 静内 (98)

 建物の作りは道内で普通に見られる、温泉、ロビー、休憩室のあるもので、お湯は温泉とすぐ分かる、茶色系。長距離運転の疲れを癒やした。 平成になってから作られたもので、自身が釧路を離れた後の開業。今回、初めて入った。




 一時間後、再びゲストを伴って、実家へ。 お袋も同乗し、柏木町へ。



2018.5.25-27 釧路 静内 (103)

 太平洋が望める、千代ノ浦海岸付近の道路沿いにある、とあるお宅へゲストを送迎。


2018.5.25-27 釧路 静内 (102)

 筆者が10代のころまで、この付近は砂浜海岸線が長く続いていたのだが、現在は港が整備され、公園が設置された。自転車でここまで来て、砂浜で遊んだ思い出が懐かしい。夏場は海水浴のできない地域ながらも、砂浜で遊ぶ家族連れの姿が見られたものだった。




 訪問を終え、近くの名店で夕食タイム。



2018.5.25-27 釧路 静内 (104)

 ここ、竹老園である。パソコンの漢字変換で一発で出てきた。 東屋総本店であり、戦前からこの地で構える格式あるソバの名店。 実はここには釧路時代は一度も来たことがなく、存在も知らなかった。今回二度目の訪問だが、いずれも40代になってからの来店。


2014.6.11-13 KSR (16)

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 釧路にこのような立派な庭を構え、歴史ある施設は現在は殆ど残っていないのでは?


2014.6.11-13 KSR (12)

 竹老園に来たなら、やはりこれでしょう。 蕎麦寿司のコース。黄色のソバと緑色のソバと、海苔巻きに包まれた蕎麦寿司である。 単に麺が海苔巻きに巻かれていると思ったら、大間違い。この味は初めて食べたら、感動ものだった。




 ご馳走様。 では、ゲストを市内のホテルまでお送りするとしよう。

 その時、二つの事件が、、、
 



 一つは、フロントガラスにカモメの糞攻撃にあっていた。 こっちは食べたばかりだぞ、「オェ〜」 全くもう!


2018.5.25-27 釧路 静内 (105)

 もう一つは、駐車場に野生の鹿が数頭、こちらを気にすること無く、堂々と食事タイム。

 確かに紫雲台〜興津〜益浦〜桂恋と山や森林等はあるが、この辺はバリバリの住宅地だぞ!少なくとも筆者が10代の頃には無かった光景のような。



 今回は少し脱線しましたが、いつもは一人気ままな訪問ですが、今回はお客様をお連れするという役割での一コマでした。次回は、産業道路付近のテーマに戻ります。
  
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 産業道路道路を歩いてみて。 西側

 18歳まで釧路で生まれ育ち、とりわけ愛国地区は筆者の庭のようなもの。

 思い出も数え切れず、、、



 産業道路という、かつて商業で栄えた生活道路がある。当時は歩道が片側のみ整備され、もう片側は未舗装で、雑草が美生い茂り、大きなドブ川もあった。 現在は人口減、少子高齢化、商業の中心は郊外の広い駐車場を備える、本州大手資本の系列大型店舗化のため、かつての勢いは無いが、道路、歩道は綺麗に整備されている。




 以下の写真は全て、午前6時〜7時の早朝散歩のもの。




2018.4.17-18KSR (84)

 前回も取り上げた、自身がよく利用したバス停、「中園通」。ここから、今回は浄水場方面に向かってみた。三角屋根の家が並んでいる光景は、自身が幼少時からのお馴染みの光景。

 


2018.4.17-18KSR (6)
 
 両側に高い街路樹が並んでいるが、1980年代には全く無かったもの。 道路整備の際に植えられたものだろうが、植えた当時はこんなに高くなかっただろう。 つまり、それくらい時間の経過が経ったということか、、、 進む。



2018.4.17-18KSR (85)

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 お、焼肉店の、「ベラ安」の建物が消え、新築間もないと思われる、二階建てマンションと、平屋が建っている。
かつて道内のラジオCMでもやっていた店であったが、無くなったか。


 ベラ安の前は、大人向けのゲームセンター、喫茶店があったのだが、テーブル型のポーカーゲーム機を使った、賭博カジノで摘発され、閉鎖に追い込まれたという記憶がある。摘発時のニュースを小学生時代に見た。





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 その隣、公園となっているが、昔からあったかな?  何か建物が無かったっけ? 右側に洋風の建物が見えるが、カフェのようだ。昔はなかったな。




2018.4.17-18KSR (91)

 服飾専門学校が、解体? 改装工事?  上木学園が経営する、服飾専門学校だが、昔からこの地で構えているが、自身の記憶では、昔から建物に出入りしている人を見たことが一度も無く、ここの学校出身者という、友人、知人も居ないものだから、自身にとって、謎の存在であった。 親父によると、かつては新栄町に校舎があり、色々手広く経営を行っていたそうだ。



2018.4.17-18KSR (98)

 建物の裏手の路地を歩いて見た。 解体? 工事中?  




2018.4.17-18KSR (100)

 その並びに、先程の洋風建物のカフェがある。駐車スペースがとても広いな。



2018.4.17-18KSR (99)

 建物は改築? リフォーム? されたかもしれないが、昔からこの地にある、愛国会館である。町内会の子供行事、身内の葬儀等で、自身にとっては昔からお馴染みの建物。 愛国町内会チームとして、百人一首の釧路大会に出るために、ここで仲間達と何度も練習した思い出が鮮明。 病気で若くして去った義姉の通夜、葬儀から、もう20年か、、、義姉の子(自身にとっての甥っ子)は、釧路で生まれ育ち、現在は首都圏で自治体の職員となった。




 次回は、この産業道路と愛国小学校〜美原に通づる、柳橋通りが交わる交差点周辺を取り上げてみたいと思います。

帰郷して、早朝の産業道路を歩いて、思い出に浸る  その2

 今年4月の帰郷時の早朝散歩、産業道路を歩いてみての、その2である。



 愛国東3丁目付近である。筆者にとってこの界隈は生活空間そのものであったので、思い出も数え切れない。
道路幅はそれほど変わっていないが、両側の歩道が広く、整備された。





2018.4.17-18KSR (5)

 昔からこの地に鎮座する、系統50番、旧東邦交通(現、くしろバス)浄水場線のバス停、「中園通」 ここは筆者にとって、幼少時、少年時にここからバスに乗り、マチ(釧路駅〜北大通り〜幣舞橋)に向かった。 このバス停から、東に歩いてみた。

 なお、当時は歩道がこんなに広くなく、車道の幅は昔とそれほど変わっていない。向かい側の道路の歩道も未舗装で狭く、草が生い茂げ、大きなドブ川が流れていた。未舗装+ドブ川スペースを合わせた幅に比べ、現在の向かい側の歩道が狭い。 ということは、手前歩道のスペースを広く取るために、車道が全体的に右側に移動し、かつてのドブ川が流れていたスペースが現在の歩道になっていると思われれる。


 
2018.4.17-18KSR (8)

 小さな店を4店構えることができる、昔からの建物。 テナントは幾度も入れ替わっておるだろうが、自身にとっては、左から2番目にあった、野口時計店が懐かしい。 腕時計を何度かここで買ったから、、、


  その隣、、、



2018.4.17-18KSR (9)

 かつて、「釧路しんきん」だった建物。 自身が一人で来たことはさすがにないが、両親に連れられて何度も来た。建物裏に駐車場があった。



 更にその隣、、、



2018.4.17-18KSR (13)

 現在は歯医者であるが、かつて、緑色の建物の、山下書店があった。 店内に入ると、本の匂いがして楽しい空間で好きであった。ここでは750ライダーという漫画単行本を何度も買った。また文房具や、プラモデルも多く売っており、何度か買ったものだった。 戦艦大和の横長の巨大な箱が鮮烈で、いつか買ってやろうと思っていた思い出も、、、




 道路を挟んで向かい側の建物、、、




2018.4.17-18KSR (10)

 1980年代前期、元の建物は記憶が無いが、新しい一階に4店舗が入る建物ができた。ここの右端に古本屋があり、長く古本の漫画やファミコンの中古ソフトを買いに訪問した。 現在は改装してオシャレになったが、かつては白を基調とした、シンプルな建物であった。



2018.4.17-18KSR (11)

 その小道を挟んで右手、今は白色のオシャレな洋風の建物があるが、かつては、洋菓子の 「松竹屋」があった。自身はここで買い物をしたことはないが、有名な店であった。



2018.4.17-18KSR (22)

 さらに東に進むと、緑色屋根のL字型の商業建物がある。 かつて薬局があり、何度か薬を買いに来た思い出がある。小道を挟み、右手、、、


2018.4.17-18KSR (25)

 かつて、スーパータイスイだった建物。1978年頃に開業した。 大きな店舗であり、総合食品、日用雑貨はもちろん、パン、ケーキの店舗も入っていた。 100回以上、買い物で来た。 タイスイは、鳥取分岐の国道沿いと、釧路デパートの(丸三鶴屋?)地下にもあった。

 
2018.4.17-18KSR (27)

 店舗の両側と裏手は駐車場であるが、両側のスペースには昔、道路と店舗の敷地境界線に側溝があり、蓋があったり外れていたり、無くなっていたりと、車を停めるには無理があった。現在はフラットになって、容易に駐車できるが、、、



2018.4.17-18KSR (21)

 旧タイスイ前の道路を渡る。 大きなドブ川が流れ、鉄塔もあった記憶がある。 左に白いマンションが見えるが、かつては、出光のガソリンスタンドがあった。 ガソリンがリッター96円の表示の出ていた時代が懐かしい。現在のレギュラー価格はというと、、、  である。



 筆者にとって、思い出溢れる産業道路です。 次回は反対方向、西側に向かって歩いてみます。

 産業道路を歩いてみて、、、 思い出に浸り

  帰郷して、早朝の産業道路を歩いて、思い出に浸る。



 筆者が子供の頃は、活気があり、人々の温かい触れ合いが今以上にあり、そこで多くの子供達が育っていった、産業道路。インフラ的には現代とは比較にならないくらい、ドブ川、くみ取り式トイレ、荒れた道路等々、昭和の典型的な光景であったが、そこが今となっては懐かしい。




 さて、愛国東2丁目付近、依田内科病院、弘済会釧路保育園を取り上げた、前回の続きである。



2018.4.17-18KSR (35)

 三角屋根のローソンがある。  奥に土田商会さんがある。


2018.4.17-18KSR (74)

 産業道路を挟んで向かい側に、釧路癌センターがある。 建物手前には高い鉄塔があり、大きなドブ川が流れ、夏はヤブ蚊の巣窟だった。歩道は舗装ではなく、土だったな。


2018.4.17-18KSR (62)

 癌センターは弘済会釧路保育園の道路を挟んだ広い敷地に建っており、もう、30年近く経ったかな?


2018.4.17-18KSR (70)

 癌センターの敷地内から、産業道路を見てみるとこのようになる。




 では、今から45年前に上記写真とほぼ同じ位置で撮影された、古い写真を見て頂きたい。




DSC08259.jpg

 1973年の弘済会釧路保育園の運動会での写真。 癌センターが建つ前、ここは広大な空き地であり、ここで運動会が行われていた。 奥に 「CO ー OP せいきょうマーケット」の看板の建物が見えるが、これが現在のローソンの建物。(画像処理)
 
DSC08260.jpg

 少し右に移動すると、YAMAHAの文字の建物があるが、これが一番上の写真に写っている、今も現役の土田商会さん。自転車屋さんであり、何度もお世話になった。(画像処理) 鉄塔も写っているな。


2018.4.17-18KSR (69)

 4番目の写真の補足。少し左側の建物の並びに、算盤教室があり、同級生の女子が通っていた。筆者も誘われたが、断った。(笑) どの建物だったか?  もう、建て替えられて変わった?



2018.4.17-18KSR (71)

 因みに、癌センターの広大な敷地は、光陽町在住の個人の寄付によるものとの石碑が。 そうだったのか。(画像処理)



 
DSC08261.jpg

 こちらは、運動会の時のもので、手前の男の子が筆者で、残り3名が従兄弟達。兄と従兄弟が弘済会保育園に通った。(画像処理) 保育園の玄関が写っているので、、、


hhh.jpg

 当時の位置関係からして、場所を特定すると、黄色矢印でカメラを構え、青枠位置にいた4人を撮ったと推測する。




 


2018.4.17-18KSR (45)

 さて、「CO ー OP せいきょうマーケット」 (旧生協愛国店) は現在、ローソンになっているが、生協は旧東邦交通の車庫跡に新しく、大規模移転オープンし、跡地はYESそうご電気等になり、そのごもテナントが入れ替わり、ローソン開店時? には建物の前側半分を撤去して、駐車スペースを確保。 三角屋根部分のみが旧生協の名残。 生協時代はお袋に連れられて、何度も買い物に来たものだった。店舗前、サイドの小道には車が列を作って沢山停まっており、店内は多くの買い物客で賑わった。建物正面から見て、右側に酒、飲料水が並んでいたという、記憶がある。ビールはもちろん、コーラもファンタもミリンダも、みんな瓶で並んでいた。



2018.4.17-18KSR (47)

 外壁等も改装されているが、この部分のみが当時の店舗の面影を残していると思われる。 

2018.4.17-18KSR (61)

 旧生協と土田商会さん。 右に移動すると、、、
 


2018.4.17-18KSR (59)

 建物が解体され、空き地となった土地と、昔ながらの木造建築が残る。玩具屋さんがあったのはこの建物? 
 さらに右に移動。

2018.4.17-18KSR (60)

 こちらも昔からある建物で、乾電池の自販機のあった電気屋さんがあったかな?




 古い写真は45年前、筆者の記憶は35年程前、、、 時の流れを感じ入ります。

産業道路を再び歩いてみた。

 筆者にとって、思い出の多い、産業道路。


 かつては大小多くの商業活動が盛んであったが、時代の流れと共に商業の主役は郊外の大型ショッピングセンターや、ネット通販に流れた。それでも昔のままの商業の姿が。2016年、2018年の写真を交えて取り上げてみる。



2018.4.17-18KSR (53)

 産業道路にある、愛国東2丁目付近。看板、経営者が変わりながらも昔ながら古い建物が当時のまま、残っている。


2018.4.17-18KSR (54)

 系統番号、50番は旧東邦交通(現、くしろバス)の歴史ある、浄水場線。筆者も数えきれない程乗った、思い出深いバス路線。車両は首都圏からの中古車に変わりながら、本日も運行中。なお、バスの本数はもはや、風前の灯火で、平日は朝、2本、日祝は1本のみ。30年以上前は多くの本数が走っていたものだ。 因みに現在は、新路線が重複し、そちらはそこそこの本数を維持。(詳細は別の機会で)


2018.4.17-18KSR (51)

 そのほぼ向かい側に、昔からこの地で開院する、依田内科病院が。青色トタン屋根が昔のまま。 現在は息子さんが担っているとのことだが、先代院長は、筆者の通った愛国小学校の学校医であった。 当時の院長先生の顔、声は今も記憶している。

2018.4.17-18KSR (57)

 この玄関を、幼少時の筆者は親に連れられて、何度も来院した。臀部に注射をされた事、喉に蒸気を当てる機械を口を開けて使った記憶が多数。

 

2018.4.17-18KSR (52)

 その左隣、かつてはスーパーフクハラだった建物。フクハラは前回取り上げた、釧路市民生協の解散後に愛国店跡に移転し、後にこの建物は衣料品店となったが、現在は閉店し、現在は空き店舗。 フクハラ時代は何度もここに買い物に来た。母親と、友人と、独りでと、、、自転車で、徒歩で、そして、免許を取り立ての時、買い物を頼まれ、初めての駐車場での整列駐車のドキドキ感が、ついこの間のことのよう、、、





 その旧、フクハラ店舗跡の裏側に小道があり、、、


2016.7.5 KSR (204)

 ここを進むと、、、


2016.7.5 KSR (205)

 愛国東会館がある。観光客など来る筈もない、地元民専用といえる施設で、10年程前、ここで、筆者の叔父の通夜、葬儀会場となった。そのような思い出以外にも利用した記憶があると思うが、、、


2016.7.5 KSR (208)

2016.7.5 KSR (209)

 さらに進むと、鉄道弘済会が運営する保育園があり、歴史は古く、筆者の兄、従兄弟もここに通った。部外者だが、小学生時代に、何かの用事で中に入ったことがある。



 次回は、この保育園に向かい側に敷地にまつわる写真を交えて、、、
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