帰郷して、早朝の産業道路を歩いて、思い出に浸る  その2

 今年4月の帰郷時の早朝散歩、産業道路を歩いてみての、その2である。



 愛国東3丁目付近である。筆者にとってこの界隈は生活空間そのものであったので、思い出も数え切れない。
道路幅はそれほど変わっていないが、両側の歩道が広く、整備された。





2018.4.17-18KSR (5)

 昔からこの地に鎮座する、系統50番、旧東邦交通(現、くしろバス)浄水場線のバス停、「中園通」 ここは筆者にとって、幼少時、少年時にここからバスに乗り、マチ(釧路駅〜北大通り〜幣舞橋)に向かった。 このバス停から、東に歩いてみた。

 なお、当時は歩道がこんなに広くなく、車道の幅は昔とそれほど変わっていない。向かい側の道路の歩道も未舗装で狭く、草が生い茂げ、大きなドブ川が流れていた。未舗装+ドブ川スペースを合わせた幅に比べ、現在の向かい側の歩道が狭い。 ということは、手前歩道のスペースを広く取るために、車道が全体的に右側に移動し、かつてのドブ川が流れていたスペースが現在の歩道になっていると思われれる。


 
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 小さな店を4店構えることができる、昔からの建物。 テナントは幾度も入れ替わっておるだろうが、自身にとっては、左から2番目にあった、野口時計店が懐かしい。 腕時計を何度かここで買ったから、、、


  その隣、、、



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 かつて、「釧路しんきん」だった建物。 自身が一人で来たことはさすがにないが、両親に連れられて何度も来た。建物裏に駐車場があった。



 更にその隣、、、



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 現在は歯医者であるが、かつて、緑色の建物の、山下書店があった。 店内に入ると、本の匂いがして楽しい空間で好きであった。ここでは750ライダーという漫画単行本を何度も買った。また文房具や、プラモデルも多く売っており、何度か買ったものだった。 戦艦大和の横長の巨大な箱が鮮烈で、いつか買ってやろうと思っていた思い出も、、、




 道路を挟んで向かい側の建物、、、




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 1980年代前期、元の建物は記憶が無いが、新しい一階に4店舗が入る建物ができた。ここの右端に古本屋があり、長く古本の漫画やファミコンの中古ソフトを買いに訪問した。 現在は改装してオシャレになったが、かつては白を基調とした、シンプルな建物であった。



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 その小道を挟んで右手、今は白色のオシャレな洋風の建物があるが、かつては、洋菓子の 「松竹屋」があった。自身はここで買い物をしたことはないが、有名な店であった。



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 さらに東に進むと、緑色屋根のL字型の商業建物がある。 かつて薬局があり、何度か薬を買いに来た思い出がある。小道を挟み、右手、、、


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 かつて、スーパータイスイだった建物。1978年頃に開業した。 大きな店舗であり、総合食品、日用雑貨はもちろん、パン、ケーキの店舗も入っていた。 100回以上、買い物で来た。 タイスイは、鳥取分岐の国道沿いと、釧路デパートの(丸三鶴屋?)地下にもあった。

 
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 店舗の両側と裏手は駐車場であるが、両側のスペースには昔、道路と店舗の敷地境界線に側溝があり、蓋があったり外れていたり、無くなっていたりと、車を停めるには無理があった。現在はフラットになって、容易に駐車できるが、、、



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 旧タイスイ前の道路を渡る。 大きなドブ川が流れ、鉄塔もあった記憶がある。 左に白いマンションが見えるが、かつては、出光のガソリンスタンドがあった。 ガソリンがリッター96円の表示の出ていた時代が懐かしい。現在のレギュラー価格はというと、、、  である。



 筆者にとって、思い出溢れる産業道路です。 次回は反対方向、西側に向かって歩いてみます。
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 産業道路を歩いてみて、、、 思い出に浸り

  帰郷して、早朝の産業道路を歩いて、思い出に浸る。



 筆者が子供の頃は、活気があり、人々の温かい触れ合いが今以上にあり、そこで多くの子供達が育っていった、産業道路。インフラ的には現代とは比較にならないくらい、ドブ川、くみ取り式トイレ、荒れた道路等々、昭和の典型的な光景であったが、そこが今となっては懐かしい。




 さて、愛国東2丁目付近、依田内科病院、弘済会釧路保育園を取り上げた、前回の続きである。



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 三角屋根のローソンがある。  奥に土田商会さんがある。


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 産業道路を挟んで向かい側に、釧路癌センターがある。 建物手前には高い鉄塔があり、大きなドブ川が流れ、夏はヤブ蚊の巣窟だった。歩道は舗装ではなく、土だったな。


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 癌センターは弘済会釧路保育園の道路を挟んだ広い敷地に建っており、もう、30年近く経ったかな?


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 癌センターの敷地内から、産業道路を見てみるとこのようになる。




 では、今から45年前に上記写真とほぼ同じ位置で撮影された、古い写真を見て頂きたい。




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 1973年の弘済会釧路保育園の運動会での写真。 癌センターが建つ前、ここは広大な空き地であり、ここで運動会が行われていた。 奥に 「CO ー OP せいきょうマーケット」の看板の建物が見えるが、これが現在のローソンの建物。(画像処理)
 
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 少し右に移動すると、YAMAHAの文字の建物があるが、これが一番上の写真に写っている、今も現役の土田商会さん。自転車屋さんであり、何度もお世話になった。(画像処理) 鉄塔も写っているな。


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 4番目の写真の補足。少し左側の建物の並びに、算盤教室があり、同級生の女子が通っていた。筆者も誘われたが、断った。(笑) どの建物だったか?  もう、建て替えられて変わった?



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 因みに、癌センターの広大な敷地は、光陽町在住の個人の寄付によるものとの石碑が。 そうだったのか。(画像処理)



 
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 こちらは、運動会の時のもので、手前の男の子が筆者で、残り3名が従兄弟達。兄と従兄弟が弘済会保育園に通った。(画像処理) 保育園の玄関が写っているので、、、


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 当時の位置関係からして、場所を特定すると、黄色矢印でカメラを構え、青枠位置にいた4人を撮ったと推測する。




 


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 さて、「CO ー OP せいきょうマーケット」 (旧生協愛国店) は現在、ローソンになっているが、生協は旧東邦交通の車庫跡に新しく、大規模移転オープンし、跡地はYESそうご電気等になり、そのごもテナントが入れ替わり、ローソン開店時? には建物の前側半分を撤去して、駐車スペースを確保。 三角屋根部分のみが旧生協の名残。 生協時代はお袋に連れられて、何度も買い物に来たものだった。店舗前、サイドの小道には車が列を作って沢山停まっており、店内は多くの買い物客で賑わった。建物正面から見て、右側に酒、飲料水が並んでいたという、記憶がある。ビールはもちろん、コーラもファンタもミリンダも、みんな瓶で並んでいた。



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 外壁等も改装されているが、この部分のみが当時の店舗の面影を残していると思われる。 

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 旧生協と土田商会さん。 右に移動すると、、、
 


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 建物が解体され、空き地となった土地と、昔ながらの木造建築が残る。玩具屋さんがあったのはこの建物? 
 さらに右に移動。

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 こちらも昔からある建物で、乾電池の自販機のあった電気屋さんがあったかな?




 古い写真は45年前、筆者の記憶は35年程前、、、 時の流れを感じ入ります。

産業道路を再び歩いてみた。

 筆者にとって、思い出の多い、産業道路。


 かつては大小多くの商業活動が盛んであったが、時代の流れと共に商業の主役は郊外の大型ショッピングセンターや、ネット通販に流れた。それでも昔のままの商業の姿が。2016年、2018年の写真を交えて取り上げてみる。



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 産業道路にある、愛国東2丁目付近。看板、経営者が変わりながらも昔ながら古い建物が当時のまま、残っている。


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 系統番号、50番は旧東邦交通(現、くしろバス)の歴史ある、浄水場線。筆者も数えきれない程乗った、思い出深いバス路線。車両は首都圏からの中古車に変わりながら、本日も運行中。なお、バスの本数はもはや、風前の灯火で、平日は朝、2本、日祝は1本のみ。30年以上前は多くの本数が走っていたものだ。 因みに現在は、新路線が重複し、そちらはそこそこの本数を維持。(詳細は別の機会で)


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 そのほぼ向かい側に、昔からこの地で開院する、依田内科病院が。青色トタン屋根が昔のまま。 現在は息子さんが担っているとのことだが、先代院長は、筆者の通った愛国小学校の学校医であった。 当時の院長先生の顔、声は今も記憶している。

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 この玄関を、幼少時の筆者は親に連れられて、何度も来院した。臀部に注射をされた事、喉に蒸気を当てる機械を口を開けて使った記憶が多数。

 

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 その左隣、かつてはスーパーフクハラだった建物。フクハラは前回取り上げた、釧路市民生協の解散後に愛国店跡に移転し、後にこの建物は衣料品店となったが、現在は閉店し、現在は空き店舗。 フクハラ時代は何度もここに買い物に来た。母親と、友人と、独りでと、、、自転車で、徒歩で、そして、免許を取り立ての時、買い物を頼まれ、初めての駐車場での整列駐車のドキドキ感が、ついこの間のことのよう、、、





 その旧、フクハラ店舗跡の裏側に小道があり、、、


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 ここを進むと、、、


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 愛国東会館がある。観光客など来る筈もない、地元民専用といえる施設で、10年程前、ここで、筆者の叔父の通夜、葬儀会場となった。そのような思い出以外にも利用した記憶があると思うが、、、


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 さらに進むと、鉄道弘済会が運営する保育園があり、歴史は古く、筆者の兄、従兄弟もここに通った。部外者だが、小学生時代に、何かの用事で中に入ったことがある。



 次回は、この保育園に向かい側に敷地にまつわる写真を交えて、、、

2016年の、思い出早朝ウオーク

 2016年の7月、札幌から夜行都市間バスにて早朝の釧路入りした際に、カメラを構えた時のショット。



ここはと言うと、、、

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 地図で言えば、道々113号線の雄鉄線通り。 かつては左右に砂利道があり、真ん中に少し盛り上がった土手があり、そこは砂利道の歩行者専用道路であった。

 昭和45年の4月15日まで、釧路駅から阿寒の雄別炭山を結んでいた、雄別鉄道の線路が通っていた。その線路跡を、歩行者専用道路に活用したもの。

 お袋によると、昭和40年代の終わりまで線路が残っていたという。それゆえにこの名称なのだろう。筆者も、この付近で幼少期を過ごした。 写真は中園側から釧路駅に向かう方向。


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 阿寒方面に向かう側を撮影。 現在はこんなに広く立派な道になった。 奥にオレンジ色の文字で、「フクハラ」の看板が見えるが、、、




 雄鉄線通りから、産業道路に移動。





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 帯広でお馴染みの、フクハラである。 元々ここには 「東邦交通」の車庫があった。昭和50年代の中頃、釧路市民生協ができたが、平成になって業績不振で解散。 その後フクハラが入った。奥にやはり帯広でお馴染みの、インデアンカレーも入る。市内には六花亭、柳月もあり、帯広商人の逞しさが目立つ。


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 その向かい側、釧路市民生協が開店した後も、2階建ての共同住宅が残っていた。 それから時が流れ、そこにはツルハドラック、はま寿司等ができていた。



 

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 産業道路と共栄橋通りが交わる交差点。


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 右手は愛国商店街。 かつては道が狭かったが、様々な店があり、活気があった。道路拡張に伴い、多くの建物は建て替わったが、賑わいは無くなった。「きりんや」は昔からここで営業している。



 交差点の左手、、、




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 先程の交差点の写真に戻って、、、
 
 シャッターの降りた、平屋の小さな建物は、かつての愛国郵便局。 子供時代、何度か利用した。駐車場といったものが無く、横の小路には、混雑週になると、利用客の車列ができたものだった。現在は近くで新しくなって、元気に営業中。


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 その左手にある建物、お菓子の柳月が建っているが、かくては長く空き地であった。雨が降るとぬかるむような土壌の。




 旧ブログで取り上げた事がある項目ですが、再度、写真を取り直して、思い出深いこの界隈を色々取り上げていこうと思っております。

2018年3月下旬  釧路にも春がそこまで

 思い出の光景のその2を取り上げる予定だったが、 ちょっと寄り道して、2018年の3月の帰郷時の写真を、、



 わずか9年数カ月の短い生涯、、、 実家の犬が病死した。 寂しいものだ。 帰郷時の散歩をいつも楽しみしていたのだが、、、 骨壺に手を合わせる為に帰郷し札幌へ戻る直前、北大通付近をウオークした。




 馴染みがありそうで、18歳までの若者にはあまり縁がなかった公共の建物。 



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 それが釧路市役所庁舎。 昭和40年の建築で既に53歳になるこの建物。 お袋に連れられて幼少時に数回入ったような記憶があるが、、、 所々に耐震補強工事がなされており、財政難ゆえ、まだまだ活躍してもらうことになりそうだ。



 庁舎裏手に回ってみると、、、


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 広い道が出来ており、、、


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 新しい防災庁舎が出来ていた。 両建物間の広い通路は、かつて何があったかな?


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 振り返って、北大通り側の見たところ。


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 因みに、2014年6月に、釧路プリンスホテルホテルから撮影した、建築中の防災庁舎。元は何が建っていたかな?



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 市役所周辺も建物が変わったり、当時のままの物も現役だったりで、、、



2018.3.17 KSR (16)

 この、ほくでんの建物は昔と変わっていないだろう。


2018.3.17 KSR (19)

 市役所正面玄関から見えるこのビル、三輪ビルであるが、昭和37年の航空写真にも写っていたので、外観は綺麗だが、もしかして、街の変遷を見守ってきた、生き証人?



2018.3.17 KSR (29)

 そろそろ札幌へ戻るバスの時間だ。 正面玄関から北大通に向かうと、30年以上も空き状態のヤスモトビルがあり、、


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 旧丸三鶴屋の旧館の隣にあったマルカツ等の建物跡に、介護施設系のビルが建築中。



2018.3.17 KSR (34)

 釧路駅の正面、釧路特急ニュースター号のバス停向かいに見える、2階にかつて賑わった喫茶、「ローリエ」の入っていた、ビルの一階部分に、今話題の個別教室のトライが入居した。 ここに通う生徒達は、かつてパチンコ店があったスペースで勉強していることなど、知る由もなかろう。



 釧路にも遅い春がやってきたようです。これからも街並みを撮り続けていきたいと思っております。 北大通の変遷に目が離せないようですから、、、
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