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母校の愛国小学校周辺を歩いてみて  その1

 2018年の4月の帰郷時に、母校である、愛国小学校の周辺を歩いた時の模様である。

 学校の周辺を一周したものである。





 2014.5.26-27 OBH (39)

 お〜と、間違えた。これは帯広の愛国小学校の写真ではないか、、、 ← お前はアホか!




 失礼した、、、 前回の続きということで、産業道路と柳橋通りの交わる交差点からのスタートである。




2018.4.17-18KSR (117)

 キャラメル色の建物は、旧松竹屋向かいにあった、釧路しんきんが移転してきたもの。 昔はこの地に何があったっけ? 撮影者の背面に進むと、愛国小学校や美原に通づる。 右手のケンタッキーは、昭和60年代以降にできた。 それまでケンタッキーにありつくには、街の中心街まで行かなければならなかったから、便利になった。


2018.4.17-18KSR (118)

 網走しんきんが建っているこの地は、かつて愛国医院という、病院があった。地元で評判の病院であり、いつも混雑していた。先生が亡くなられたことにより、建て変わったもの。


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 校門の前のバス停。 1979年頃、美原地区に待望の小学校が開校するまで、美原地区の生徒たちは、毎日ここからバスに乗り、帰宅した。 開校後、多くの生徒達が転校していったが、それでも生徒数は1300名を数えた。



2018.4.17-18KSR (156)

 登校時は向かい側のバス停に大量下車。 ちなみに奥に引っ込んたオレンジ色の家が見えるが、手前の砂利の部分に、「H文房具店」という店舗が併設されており、文房具、駄菓子、飲み物のほか、学校指定の5色の帽子もここで扱っていた。当時は、多くの子供達で賑わい、正に子供たちの社交場であった。 勿論、筆者も数え切れなほど、ここで買い物をした。



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 正面玄関。 左手の木は、1981年の開校10週年記念の際に植えられたもの。筆者はこの玄関を6年間使って、登下校した。低学年、中学年、高学年と3つに区割りされた玄関。 



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 非常階段。 壁の意匠は昔のまま。 筆者はここでよく遊んだものだ。 なお、後年には、非常階段は反対側にも増設された。


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 グラウンド側。 中央の白い部分は平成になって設置された、エレベーター。車椅子の生徒も通えるように、玄関等にもバリアフリー設備が増設されている。開口部は、給食トラックを付ける所。1980年頃まで、自前の給食室は無く、寿小学校で作ってもらい、ここにトラックを付け、降ろしていた。その後、右手の給食室が作られ、近くを通ると匂いがするようになった。 また、左手の物置のある部分に当時は、古いタイヤが多く並べられており、その中を潜って遊んだのも、思い出。



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 柳橋通り側。古いフェンスが当時のままであるが、さらに上にネットが増設されている。 昔はサッカーボール等がこのフェンスを越え、大型車に轢かれ、ペシャンコになったことを何度か目撃した。 また野球部もすぐ横で練習するので、必要な対策だろう。


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 グラウンドから見た、校舎全景。 筆者にとっては、このグランデでの思い出は数知れずである。



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 フェンスで囲まれたグラウンドであるが、さりげなく抜け道が。 これも当時のままだな。



 母校である、懐かしい愛国小学校を何回かに分けて取り上げてみたいと思います。6年間通ったので、様々な思い出があふれてくるようです。  
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中園交差点の変遷

 前回の続きであるが、今回は、柳橋通と愛国江南通の交わる、中園交差点付近を取り上げてみる。筆者の庭のような場所で、思い出も数知れず、、、



2018.4.17-18KSR (110)

 今年の4月の写真であるが、、、


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 2007年1月の撮影では、緑色の大きなビルがあった。


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 ビルの横にある、「中園タウン」の文字が懐かしい。 フクハラという名のスーパーが一階に入っているが、かつては、「スーパーまつだ」であった。ここには数え切れない数、買い物に来たものだ。

 フクハラに変わったのは筆者が、札幌に移住した後。かつては外観も白一色であった。


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 周辺に7階建ての高い建物が無く、愛国小学校時代は、授業でここに来て、屋上に登り、街並みを眺めた。当時は屋上に自由に登ることができたが、事故防止やトラブル防止の観点からと思われるが、禁止となった。 7階の屋上から見る、自分の住む地域を見た時の感動は、今も覚えている。



 その建物も、2011年6月になると、、、




2011.6.9-11 KSR 100N (61)

 姿を消し始めた。 

 現在はフクハラの新しい、平屋造りの店舗が引き続き、地元民の生活を支えている。 旧店舗は雨漏りが酷いらしく、マンション住民には移転して頂き、店舗の建て替えに着手したとの事。




 道路を挟んで南側に、、、



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 広くその名を知らしめる、ホーマック発祥の地がある。 前身の石黒ホーマの1号店である。 勿論、石黒ホーマ時代も、ホーマックになってからも、何度も買い物に来た。


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 交差点の写真であるが、右角の菓子店舗、隣の自転車店、衣料品店と、周辺も商業地域であった。



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 奥に新しくなった、労災病院が霧に霞むが、赤色の木造店舗も古くから営業し、、、(2011年6月撮影)


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 真ん中にかつて、日の丸弁当があった。 (2007年1月撮影) この木造二階建ての赤屋根の上に、かつて鉄道車両が載っていたなんて、信じられるだろうか? 

 事実である。1970年に廃止された、雄別鉄道の客車(コハ2型?)が、平成初期頃まで載っていたことを覚えている諸氏も多いであろう。 近くに雄別鉄道の中園駅があったのだが、それとは関連なさそうだ。



 「中園タウン、まつだ」はとても懐かしい響きであり、かつてこの周辺には小さな商店等があり、この一帯は商業地域でありました。「紅花商店まつだ」はかつて、札幌にも進出しましたものの、2001年に倒産しました。その後、妹尾チエーンも倒産し、地元資本の歴史ある企業が徐々にその姿を消しつつある現状です。 あの懐かしい賑わいの記憶は、年齢を重ねるごとに薄れつつあるかもしれません。 

産業道路の交差点を南に進んでみて、、、

 産業道路と柳橋通が交わる交差点付近である。筆者にとっては庭のようなもので、思い出も多々である。




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 産業道路と柳橋通の交差点を、愛国小学校側から、大曲方向に撮影したもの。

 カフェオレ色の建物は、かつて産業道路の旧山下書店の隣にあった、「釧路しんきん」が移転したもの。

 大曲方向にまっすぐ進んで見る。



2018.4.17-18KSR (95)

 ケーキ、洋菓子のデリスフジタを覚えておられるだろうか。 かつて、ここに木造の二階建ての、3店舗が並んだ一番左に店を構えていた。1983年頃の火災で建物は焼失。 その後、現在の近代的な建物に生まれ変わったが、やがて営業を終了。現在は、ピーターパンという、評判のパン屋さんで知られる建物となった。



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 その並び、1階に2店舗と3店舗が入ることのできる、二階建ての建物がある。右手の3店舗側の建物は、かつて、エミそろばん教室と英数セミナーという学習塾があった。同級生がここに通っていたことから、覚えているのだが、筆者は建物内に立ち入った事はない。


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 当時の塾はもう無いが、この通りを数えきれない程通った筆者は、塾の入り口を覗きながら、小学生なのになぜ、塾に行かなくてはならないのだろう? と頭の良い同級生達を訝しく見ていた。 習い事の嫌いな筆者であるが、、、



 その道路を挟んで、向かい側にできた学習塾にまさか、、、



2018.4.17-18KSR (106)

 中学3年になると、ここに通うことになるとは、、、


 このビルにかつて、学習塾の「あすなろ会」があり、現在は少し北方向に移転した。全盛期は建物裏手にあった古い平屋まで使って、生徒達に勉強を教えていた。

 筆者は第二次ベビーブーム世代であり、当時は若者がたくさんいたため、あすなろ会の他、北大学力増進会、練成会、等の大手や中小も含めて生徒獲得にしのぎを削っており、連日のように新聞広告に学習塾のチラシがたくさん入っていた。

 親に無理やり行かされることになったのだが、あすなろ会は、張り詰めたピリピリの中の授業でなく、和気あいあいの雰囲気であり、勉強を学びつつ、同じ学校で同学年ながら、普段言葉を交わすことのない異クラスの生徒たちとの社交の場ともいえた。

 しかし、増進会や練成会には選抜の特設コース、超特設コースもあり、普通クラスでも、通知表が5段階評価で15以上、つまり、5科目で全て、3以上の生徒しか相手にしないといった、客を選ぶところがあった。それほど、当時は生徒を確保するに苦労はしなかったということである。 

 当時はそんな大人達の振り分けに嫌気が指していた筆者。「こんな高校に入るためだけの受験勉強が社会に出て役立つのかよ!」、と。

 その後のオウム事件で、東大、京大出等のエリート達が凶悪事件を起こしたことを知った筆者は、それ見たことか! と思ったものだ。



 雄鉄線通を越えて大曲方向に進む。




2018.4.17-18KSR (108)

2018.4.17-18KSR (112)

 右手にあるのは、杉本内科病院。建物は新しくなったが、昔から評判で人気のある病院で、筆者も含めて多くの生徒、大人達もお世話になった。インフルエンザの大流行する時期に行くと、クラスの同級生が必ず一人はいたものだ。

 現在は息子さんが後を継いでいるが、先代院長も元気で、筆者の親父も先代と酒場で何度も顔を合わせているとか。


 あれ?

 左手にかつて、歴史のある、中園食堂があったはずだが、消えてしまった。茶色の建物の左手にあったかな?
 子供の頃から気になっていただけに、閉店前に、一度食べてみたかったな。



2018.4.17-18KSR (110)

 そして、かつて、雪印のビルと、スーパーまつだのあった、柳橋通と愛国江南通の交差点付近であるが、

 こちらは、次回に、、、

 千代ノ浦付近に足を運んでみた

 産業道路付近を取り上げている途中であるが、、、


 今年5月に、実家の都合で釧路に戻ったのだが、この時、札幌にいる親戚の人を釧路に送迎するため、レンタカーを借り(自身はマイカーを持ていない)、札幌〜釧路間を往復した時の模様を、少し取り上げてみた。



 札幌から釧路までの運転は極めて順調で、札樽道〜道央道〜道東道と走ると、休憩を二度挟んで、4時間半で阿寒まで来た。早くなったものだ。 現在建設中の高規格道路が、大楽毛まで繋がると、さらに実家までの到着が短縮される。




 阿寒にある介護施設に見舞いのため、親戚を送り届け、一時間程の空き時間があるので、、、



2018.5.25-27 釧路 静内 (101)

 施設から車で約10分の所にある、丹頂の里の向かい側にある、赤いベレーという温泉施設で時間を潰す。


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 建物の作りは道内で普通に見られる、温泉、ロビー、休憩室のあるもので、お湯は温泉とすぐ分かる、茶色系。長距離運転の疲れを癒やした。 平成になってから作られたもので、自身が釧路を離れた後の開業。今回、初めて入った。




 一時間後、再びゲストを伴って、実家へ。 お袋も同乗し、柏木町へ。



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 太平洋が望める、千代ノ浦海岸付近の道路沿いにある、とあるお宅へゲストを送迎。


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 筆者が10代のころまで、この付近は砂浜海岸線が長く続いていたのだが、現在は港が整備され、公園が設置された。自転車でここまで来て、砂浜で遊んだ思い出が懐かしい。夏場は海水浴のできない地域ながらも、砂浜で遊ぶ家族連れの姿が見られたものだった。




 訪問を終え、近くの名店で夕食タイム。



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 ここ、竹老園である。パソコンの漢字変換で一発で出てきた。 東屋総本店であり、戦前からこの地で構える格式あるソバの名店。 実はここには釧路時代は一度も来たことがなく、存在も知らなかった。今回二度目の訪問だが、いずれも40代になってからの来店。


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 釧路にこのような立派な庭を構え、歴史ある施設は現在は殆ど残っていないのでは?


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 竹老園に来たなら、やはりこれでしょう。 蕎麦寿司のコース。黄色のソバと緑色のソバと、海苔巻きに包まれた蕎麦寿司である。 単に麺が海苔巻きに巻かれていると思ったら、大間違い。この味は初めて食べたら、感動ものだった。




 ご馳走様。 では、ゲストを市内のホテルまでお送りするとしよう。

 その時、二つの事件が、、、
 



 一つは、フロントガラスにカモメの糞攻撃にあっていた。 こっちは食べたばかりだぞ、「オェ〜」 全くもう!


2018.5.25-27 釧路 静内 (105)

 もう一つは、駐車場に野生の鹿が数頭、こちらを気にすること無く、堂々と食事タイム。

 確かに紫雲台〜興津〜益浦〜桂恋と山や森林等はあるが、この辺はバリバリの住宅地だぞ!少なくとも筆者が10代の頃には無かった光景のような。



 今回は少し脱線しましたが、いつもは一人気ままな訪問ですが、今回はお客様をお連れするという役割での一コマでした。次回は、産業道路付近のテーマに戻ります。
  

 産業道路道路を歩いてみて。 西側


 ※ 2018年、7月30日、写真1枚追加


 18歳まで釧路で生まれ育ち、とりわけ愛国地区は筆者の庭のようなもの。

 思い出も数え切れず、、、



 産業道路という、かつて商業で栄えた生活道路がある。当時は歩道が片側のみ整備され、もう片側は未舗装で、雑草が美生い茂り、大きなドブ川もあった。 現在は人口減、少子高齢化、商業の中心は郊外の広い駐車場を備える、本州大手資本の系列大型店舗化のため、かつての勢いは無いが、道路、歩道は綺麗に整備されている。




 以下の写真は全て、午前6時〜7時の早朝散歩のもの。




2018.4.17-18KSR (84)

 前回も取り上げた、自身がよく利用したバス停、「中園通」。ここから、今回は浄水場方面に向かってみた。三角屋根の家が並んでいる光景は、自身が幼少時からのお馴染みの光景。

 


2018.4.17-18KSR (6)
 
 両側に高い街路樹が並んでいるが、1980年代には全く無かったもの。 道路整備の際に植えられたものだろうが、植えた当時はこんなに高くなかっただろう。 つまり、それくらい時間の経過が経ったということか、、、 進む。



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 お、焼肉店の、「ベラ安」の建物が消え、新築間もないと思われる、二階建てマンションと、平屋が建っている。
かつて道内のラジオCMでもやっていた店であったが、無くなったか。



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 こちらが2006年に撮影した、在りし日のベラ安。

 この建物、かつては大人向けのゲームセンター、喫茶店だったと記憶している。





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 その隣、公園となっているが、昔からあったかな?  何か建物が無かったっけ? 右側に洋風の建物が見えるが、カフェのようだ。昔はなかったな。




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 服飾専門学校が、解体? 改装工事?  上木学園が経営する、服飾専門学校だが、昔からこの地で構えているが、自身の記憶では、昔から建物に出入りしている人を見たことが一度も無く、ここの学校出身者という、友人、知人も居ないものだから、自身にとって、謎の存在であった。 親父によると、かつては新栄町に校舎があり、色々手広く経営を行っていたそうだ。



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 建物の裏手の路地を歩いて見た。 解体? 工事中?  




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 その並びに、先程の洋風建物のカフェがある。駐車スペースがとても広いな。



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 建物は改築? リフォーム? されたかもしれないが、昔からこの地にある、愛国会館である。町内会の子供行事、身内の葬儀等で、自身にとっては昔からお馴染みの建物。 愛国町内会チームとして、百人一首の釧路大会に出るために、ここで仲間達と何度も練習した思い出が鮮明。 病気で若くして去った義姉の通夜、葬儀から、もう20年か、、、義姉の子(自身にとっての甥っ子)は、釧路で生まれ育ち、現在は首都圏で自治体の職員となった。




 次回は、この産業道路と愛国小学校〜美原に通づる、柳橋通りが交わる交差点周辺を取り上げてみたいと思います。
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